BISTRO ROSE WINE

シンガーソングライター葉月翔のホームページTIFFANY LANDのブログBISTRO ROSE WINEの記事を記載しています。

STEP AND SMILE de GO!

ベンベン

当サイトの管理人歌舞伎の宮富士之介で御座います。

 

 

それに致しましてもコロナワールド到来は凄まじい破壊力でありまして、日常の機能を破綻させて参りましたなあ。

葉月殿がフレンチトーストの活動を本格化させた二〇一八年辺りからのことをここの所振り返ってみておるので御座いますが、二〇一九年にFRENCH TOAST de SHOW!の開催に踏み切られまして初のワンマンコンサートを実現されておりまする。

暫し葉月殿が歩んで来られました二〇一八年頃からのこのフレンチトーストストーリー回想記にブログ読者の皆様にお付き合い頂き、共に何かを分かち合ってもらえたら大変嬉しゅう御座います。

 

いつもそう思っておりまするが、今日も皆様がお読みになられますことで人生の深き味わいが御堪能頂け楽しめる最高の一本のワインをお召し上がりになられたようなブログ記事を御用意出来るように、このビストロロゼワインという名前のブログを精一杯営業オープンして参りたいと思います。

営業と言いましてもお金儲けの為では御座いません。

皆様の笑顔が何よりの御馳走で御座います。

勿論お金も大切で素晴らしい愛の表現になりますけども、名もなき小さな財力を持たない今現在のティファニーランドで働いております我々全従業員一同は、心の豊かさを得る為にお金を掛けずとも出来る些細な取り組みから始めて行こうと日々そんなことを語り合いながら励まし合い生きて行っておりまする。

 

ティファニーランドでは今金欠である暮らしの状況が続いておりますが、きっと多くの皆様方におかれましても同じであるかもしれませぬなあ。

一部の富裕層にいる人々と多くの貧困層にいる人々とに、生活水準は別れ二極化が続いておるのでしょう。

生活費に困ったような方達が沢山おるのでありましょう現代に於きまして、その問題の打開の為に活躍して欲しいと願う政治に全く期待が出来ないような実態があると思えてしまっておるのですが、そんな状況の続く中民衆である皆様方に今一体何が出来るので御座いましょうか。

シリアスにもなり兼ねないハードな問題で御座いますなあ。

聞いた話によりますと、飯を取るか暖房を取るかといった選択をしながら冬を越そうと考えておられる生活費に困った貧困層の民がこの国には存在しておるようで御座います。

いよいよ極貧時代が到来しておるようで御座いますなあ。

 

 

ここでYouTubeを御紹介致しましょう。

昨年十一月三日に開催されましたフレンチトーストコンサート2022戦中お見舞い申し上げますより、HEARTFULSMILE LADIES END GENTLEMANというナンバーで御座います。

このコンサートが開催されまして、奇しくも今日できっかり一年の時が経過致しました。

本当に時間が過ぎ去るのが早いなあと葉月殿が話され、一年前に開催したコンサートのことを回想されておられました。

葉月殿は一年前にステージを下りられまして以来、人前に立ち歌うことはなくなられておりました。

またコンサートを開催することを計画されておられるこの頃で御座います。

私としましては葉月殿はもっと人前に出て行き歌を歌わなくてはならない人だと思っておりますので、是非頑張って欲しいですなあ。

 

HEARTFULSMILE LADIES END GENTLEMANというナンバーは、葉月殿が映画天使にラブソングをの中で歌われても良さそうなナンバーを作りたいと思われ誕生した曲なのだそうで御座います。

とても良い曲だと私は思いますなあ。

私のお勧めナンバーの一曲で御座います!

皆様、是非御鑑賞頂き楽しまれて行って下さいませ!!


www.youtube.com

心の潤いを保つ為の営みでしかなく現実的に何が出来る訳でもないのかもしれませぬが、ティファニーランドは今日も元気にオープンしておりますぞよ。

皆様、Welcomeで御座いますぞ。

よく遊びにお越し下さいましたな。

有り難き幸せで御座います。

どうもどうも。

皆様、入場口からお入り下さいませ。

顔馴染みの方もおられますな。

御訪問本当にどうも有り難う御座います!!

 

ではお話が少し逸れてしまったようなので、元に戻し話して行きたいと思います。

 

 

FRENCH TOAST de SHOW!の第一回目の開催は二〇一九年六月の夏至の日であったと葉月殿が話されておられました。

実家のある街の高島チャペルという名前の教会での開催であったと伺っております。

 

葉月殿に伺った話によりますと、高島チャペルさんが近隣住民の為になる活動であればコンサート会場として無料でお貸しして下さるとのことで、有り難く会場を使わせてもらっておったとのことで御座います。

葉月邸のお隣の民家に住まわれておられましたお婆様のお世話を、葉月殿の母上様がされておった時期があったのだと葉月殿が話されておられたのを聞いておりまして、高島チャペルさんでのフレントーストコンサートに関係しておりその話をしたいと思います。

 

 

当時葉月殿の母上様は、年老いた姑様のお世話役をしておられました。

人は年老いて行きますと、どうしても他人様からの手助けが必要となり世話にならなくては生活して行くことが難しくなって参るので御座いますなあ。

体が不自由になったり認知症になったりと、高齢化社会の抱えた問題がありますな。

葉月殿のお婆様も年老いて来て、そんな風に段々と周りにいる人からの介護の手を必要とされるお歳になられておったとのことで御座います。

 

葉月殿の母上様は姑様のお世話役をする延長で、お隣に住んでおられました姑世代であられたようでありますお婆様のお世話役もしておったのだそうです。

葉月邸では現在南風という名前になっております一階フロアが御座いますが、既にこのブログで話題にして参りましたがここは昔葉月殿のお爺様とお婆様が営んでおられました元酒屋で御座いまして、そこに集われた姑様とお隣のうちのお婆様に葉月殿の母上様はバイオリンを弾きお歌を歌えるように演奏を奏でて差し上げておったそうです。

葉月殿の母上様は、年老いた姑様とお隣のお婆様のお二人と、レクレーションをしながら楽しく日々を過ごせるように努められておられたようで御座います。

お隣のお婆様は詩吟を長く習われておられたようで、なかなかの歌いっぷりであったようです。

葉月殿の母上様は、料理をして食事を用意しお出ししておったとのことでした。

 

お隣に住まわれておられましたお婆様は、高島チャペルの牧師さんの奥様のお母様で御座いました。

そんな縁から葉月殿がコンサートをする際の会場として、高島チャペルさんを使わせて頂けるという話に繋がって行ったようで御座います。

 

 

葉月殿の母上様は宗教的な話とは別になるようですが、教会の礼拝に行き讃美歌を歌うのが好きであったようです。

心が静まるような時間が持て、好まれておったようで御座います。

葉月殿自身も同じような気持ちになっておったようです。

 

私は長年生きて参りまして思うのですが、不思議に親子とは良い所も悪い所も似る物で御座いますなあ。

葉月殿が自身の経験を踏まえ話されておられましたが、人は生き方を幼い時に親から無意識的にコピーして学び取り、その後生き方を変えようと思ったら相当意識的に取り組まないとなかなか変われないものなのかもしれないと考えられておられました。

どうなのでしょうなあ。

潜在意識の書き換えについて語られておるお話も聞こえて参りますが、個人が無意識的に選択しておって変わりたくないと思っていたならば変わることは出来ないということなのかもしれませぬなあ。

人は悪い習慣であっても慣れた生き方に安心を覚え、慣れない生き方を選択することで発生するリスクを背負うことを嫌い避けたがる生き物なのかもしれませぬ。

葉月殿は母上様から受け継いだ良い面と悪い面について考えられながら、短所であると思った部分の改善に努めようとされて来ましたがなかなか思うようにはならなかったようで御座います。

 

葉月殿は親戚筋の中で、外見的には昨年四月に亡くなられておられます葉月殿の母上様の御姉様に似ておられるのだそうです。

実の母よりパッと見はこの伯母様似であったようで御座います。

ですが母上様の御姉様のことを知らない他人様からしますと見比べる対象はない訳でありまして、葉月殿は母上様に似ておると言われておったようです。何となく空気と言いますか雰囲気が似ておれば、やっぱり親子でそっくりだということになるのでしょうなあ。

葉月殿は外見的には母上様の家系の方々に良く似ておらるのだそうです。

父方の家系の方々にはパッと見似てないとのことで御座います。

母方の家系の人達をじっくり見て知って行くと、自分は母には余り似てなくて、母の姉である伯母似であるとたぶん分かるのではないかなと葉月殿が話されておられました。

外見が似た者同士である一族のことを知った上で良く良く観ると違っておりましても、その一族のことについて迄は知らない他人様の目には然程細かな違いはないということになるのでしょうなあ。

 

 

思い付いたままに徒然と司会進行役を務めお話させて頂いておりますが、ここで二〇一九年八月十三日に高島チャペルさんにて開催されました第三回お盆だよFRENCH TOAST de SHOW!の後に、葉月殿がひかる君と木原君と一緒に撮影したフォトを御紹介します。

この時木原君はまだフレンチトーストのメンバーになる以前であったそうで御座います。

 

木原君が御師匠様として慕われておられますひかる君に着いて来られ、コンサートに御参加されておったのだそうです。

 

この日のコンサートはなかなか良い出来であったと葉月殿が話されておられました。

YouTubeに映像が残されておりますので御紹介致しまする。フレンチトーストコンサートの御宝映像ですぞよ。今はまだ再生数が少なく世の中の多くの皆々様に出会うチャンスに恵まれておらずとも、これは宝の映像だと私は信じておるので御座います。良い歌はいつの日かきっと沢山の人に出会い愛されながら、人の心を浄化し元気付け人々を愛で結び付けて、様々な奇跡的行動を起こさせ時代を明るく切り開いて行くに違いないと信じたいので御座います。やや力説してしまいましたかな。私が良いなと思っております葉月殿の音楽をより多くの皆々様に知って欲しいと願う余りに、遂押し付けがましくなっていたならすみませぬなあ。私は葉月殿の音楽には本当に革命をもたらす力すらあるのではなかろうかと、そのようになる可能性を十分に秘めていると感じておるので御座います。皆様是非何度でも御鑑賞頂きまして、葉月殿の歌を心の友として覚えられ人生を共に歩んで下さいますと私と致しましてはこんなに勇気の湧く話は御座いません。

現在葉月殿の歌を聴くにはコンサートに行くかYouTubeで鑑賞するかCDで聴くか位だと思います。

我々現代人は気忙しくて、なかなかゆっくり時間を取って音楽鑑賞に耽ることは難しい生き物になっておるのかもしれなせんなあ。

時代の移ろいを感じまする。

私は昔良くアルバムを聴いて過ごしておりましたが、気分的余裕がなくなり最近は殆ど聴かないですなあ。

でも葉月殿に関わっておりますので自然と音楽のある生活になっております。

やっぱり音楽は良いなあと感じておりまして、良い歌を聴けるような環境があれば幸いなことだなあと思っておりまする。

皆様も音楽から遠退かれた生活をされておられたならば、少し工夫されて必要があれば是非フレンチトーストのYouTube等を上手く御利用下さいませ。

当ブログのビストロロゼワインにて今日のように以前公開していたYouTubeを改めて御紹介することをしておりますので、お時間が御座いましたら是非鑑賞され歌を覚えられましておうちへ連れて帰られて下さいませ。

 

ハッハッ!!

そんな気持ちになられておられるので御座いますなあ。

お気持ちが良く分かりますぞよ。

了解致しました!!

 

今葉月殿がブログを御覧になって下さっております皆様に、良かったら僕の歌と仲良くして頂きまして可愛がって下さいねと伝えるよう私に話し掛けられて来られましたので伝言させて頂きました。


www.youtube.com

葉月殿がアニメちびまる子ちゃんの主題歌の踊るポンポコリンを演奏する際、客席にいた木原君に声を掛けられましてカホンを叩いてもらい飛び入り参加してもらっているシーンが御座いまして、その部分の映像だけをカットしYouTubeに投稿されておられるので御紹介致します。


www.youtube.com

葉月殿がフランクな雰囲気で、ふる里の街で開催したコンサートを楽しんでおられますなあ。

 

ベースボールゲームでの突然のルーキーの試合への抜擢に似た話では御座いませんかな。

葉月殿が好きな映画でありますフィールド・オブ・ドリームスの中にそんなシーンがありましたなあ。

この辺りの乗りが何とも葉月ワールドで、私は好きですなあ。

この時のことを葉月殿が話されておられましたが、弟子思いの頼れる兄貴といったようなひかる君が客席にいたコンサートに演奏者として参加したいと思っているであろう木原君に、踊るポンポコリンにてカホンを叩くことを促すように声を掛け誘っておられたようです。

その時葉月殿はそれはグッドアイデアだなと思われたようです。

木原君がカホンを叩き参加し多くのちびっ子達に愛されているのであろうアニメちびまる子ちゃんの主題歌である踊るポンポコリンを演奏してくれれば、きっとこの曲を演奏する意味は深まり誰にとっても豊かな結果になるだろうなと思われたようです。

葉月殿から見て木原君がコンサートに参加したいのは見え見えであったようで御座いまして、

可愛いちびっ子の純粋な姿があり、木原君にカホンを叩いてみないかと声を掛けられたようです。

まず初めに、弟子思いのひかる君のはからいにより啓発された部分があったとのことでしたなあ。

 

葉月殿自身が育って来る中で、縦社会の柵に取り込まれ足掻いて来た御経験がこのエピソードのバックグラウドにはあったようです。

葉月殿は真の平等についてやチャンスの与えられ方について随分考えられて来たようで御座いまして、伸び伸びと能力を発揮して行く為の環境を下の世代には与えて行くべきだろうなと考えられておったようです。

これは非常に良い話ですなあ。

 

木原君はコンサート後に葉月殿のYouTubeのページのコメント欄に、コンサートに飛び入り参加させてもらうチャンスをくれて有り難う御座いましたといったような素直な気持ちを書き込んで来てくれていたのだそうです。

心温まる話で良いですなあ。

私はそんな人に優しい社会に住みたいで御座います。

この話はたぶん葉月殿の求めておられるロックの理想郷へと続く、果てしなき取り組みのワンシーンとして刻まれたエピソードなのでは御座いませぬかな。

 

 

現在高島チャペルさんのある場所は昔は空き地みたいになっていて、植物が覆い茂っていた一帯のエリアではなかったかと葉月殿が記憶を辿りながら話されておられました。

葉月殿が小学生の頃の話になるそうで、たぶん五年生になった頃区画整理が始まり、一軒分の民家の敷居みたいな物で仕切られて行ったとのことで御座いました。

 

葉月殿は高島チャペルさんで三度 FRENCH TOAST de SHOW!を開催されて来ておられますが、音響が非常に良く生音で十分の会場なのだと話されておりました。

音響についてプロフェッショナルな設計がなされておる印象を持たれ、牧師さんの説教が良く響き渡る礼拝堂なのだろうなと言われておりました。

葉月殿はしっかり利用しないと勿体ない位に、コンサートをするのに打って付けの会場だとの印象をお持ちになられておりました。

 

二〇二〇年一月に高島チャペルさんにて三度目となるFRENCH TOAST de SHOW!が開催されておりますが、この日のコンサートに御越しになられていた御客様の中には葉月殿の母上様が御招待されていた町内に住まわれておられました組み内の奥様お二人の姿もあったと葉月殿が話されておられました。

その奥様お二人は非常に良い雰囲気でコンサートを楽しまれて帰られたようで御座います。

この話は葉月殿の母上様がコンサートに来て下さった奥様の内のお一人の方だったかもしれないとのことでしたが電話で話す機会があり、その時に伝えて下さった話なのだと葉月殿が話されておられました。

コンサート後に直ぐ解散するのは名残惜しく思われたのか余韻を楽しまれておったようで、お一人の方のお宅でコーヒータイムだと言われていたかもしれないとのことでしたがゆったりした良い時間を過ごされたようで御座います。

 

その後コンサートに来て下さっていたお二人の奥様の内のお一方が葉月邸に旦那様とお子さんと親子連れで用をする為に尋ねてやって来られたようで、その際非常に円やかな雰囲気だったようで、フレンチトーストコンサートの余韻がいまだに続いているような状況があることが葉月殿に伝わって来ていたようです。

繕った姿ではないことの分かるムードを感じる気がして、ああ、僕は良いコンサートを御聴かせすることが出来ていたのだなと、葉月殿は手応えを得ていたようで御座います。

奥様だけでなく、コンサートに来て良い影響を受けて帰って下さっていたらしい奥様から、御家族に迄良い影響が伝染しておることが分かるようだと思われていたようで御座います。

 

 

私は長年生きて参りましたが当時はまだキャラクター化されてはおりませんでしたので、今ここに存在致します私は葉月殿によりキャラクター化された時点に於きましてパラレルワールドから分岐し現れたものと説明すれば良いのですかな?

うーむ。

難しい話で頭がこんがらがりそうで御座います。

 

高島チャペルでの第一回目のFRENCH TOAST de SHOW!には、葉月殿の母上様の知人であった方々等がお客様としてやって来て下さったのだそうです。

葉月殿は対人恐怖症気味に人を避けて生きて来たような所が御座いますようで、繋がっている方が余りおられなかったようで、母上様にコンサートの御客様として知り合いの方々を招待してもらい頼っていたようです。

その後御客様達の多くがコンサートのリピーターとなって下さり、やがてコロナが流行り出す迄はFRENCH TOAST de SHOW!が順調に開催され上手く軌道に乗りつつあったようで御座います。

葉月殿は皆様方が付き合いでコンサートにやって来て下さっていたのか本当に来たくていらしゃって下さっていたのか良く分からなかったのだそうですが、付き合いならば長くは続かない関係になりやがて縁遠くなりコンサートに来なくなるのだろうなと思われていたようです。

母上様からの紹介で来て下さった方が多かったのではと思われますが、普通はこういった場合付き合いからやって来ることが多いものなのかもしれませぬなあ。

葉月殿がその辺りのことを気にしておったというのは、無理からぬことだったのかもしれませぬ。

葉月殿はそういったお気持ちでおったのですが、思いの外コンサートのリピーターとなって下さる方が多くてびっくりされていたのだそうです。

これは母の力だろうか。

はたまた本当に純粋にコンサートを楽しみに来て下さっているのかと、御客様達の気持ちが掴み切れず様々に思い巡らせておられたようで御座います。

 

葉月殿のそれ以前のインディーズミュージシャンとしての活動は、地元で音楽をされておられます皆様が集まるライブハウスでのライブ開催がメインであり、これは仕方のないことかもしれませぬが音楽を自分がする立場の方は御自身のライブのことが一番重要といった雰囲気で、葉月殿の音楽を必要とされ御興味を持たれる方には余り出会えなかったようで御座います。

自分の歌はなかなか悪くないと思いある程度自信を持っていた葉月殿でしたが、ただ単に自分の歌に大して力がなかったからかもしれないとも思われていたようです。

 

葉月殿はきららカフェさんと街のライブハウスでありますミュージックファクトリーさんでも、FRENCH  TOAST de SHOW!を開催されて来られました。

葉月殿にとりましてアットホームな雰囲気のきららカフェさんは、マスター御夫妻がいるからこその特別な場所となっておりました。

何よりも自分の音楽への愛情を、葉月殿はマスター御夫妻から感じておられました。

 

ミュージックファクトリーさんで葉月殿は映像作品を残して行きたいと願い、お客様が少ない割に豪華に利用をさせて頂いて来たとのことでした。

 

 

六月の夏至に第一回 FRENCH  TOAST de SHOW!を開催して以来、翌年の一月迄定期的に葉月殿はこのショーを開催されて参りました。

ミュージックファクトリーさん以外での会場では、PAシステムを介さず生音勝負のコンサートを楽しまれておったのだそうです。

バンドの音量に埋もれながらも、生歌を普通の部屋で聴かせるというメジャーミュージシャンのやってなさそうなスタイルがなかなか良いではないかと葉月殿は思われていたそうです。

ヨーロッパでは街中で人々はどうやらワインを飲みながらごく普通に日常的出来事としてバイオリン演奏をされておるようですが、葉月殿はあんなフランクな乗りでの最高のグッドミュージックを御客様達にお聴かせすることが出来たならば素晴らしく貴重な経験を得て頂けるのかもしれないと考えられ意気込まれておったのだそうです。

立派に見せる照明もPAも何もない完全なるアコースティックサウンドという、きっと稀な御経験となるのではないかと思われるコンサートにて良い演奏をお聴かせし感動を持って帰って頂きたいなという思いでステージに立たれておったようです。

 

皆がハッピーになるように。

笑顔になるように。

歌の花束を毎日に届けたい。

葉月殿が願っていたのはそれだけだったようです。

 

短い期間だったけれど皆様と直に出会い同じ部屋で音楽を通じコミュニケーションを楽しまれまして、本当に充実した幸せな日々であったと葉月殿が言われておりました。

どうにか軌道に乗り始めた感のあったFRENCH TOAST de SHOW!で御座いましたが、突然のコロナパンデミックという世界が危機的状況にあるらしいというニュースが流れ活動自粛を余儀なくされてしまいました。

二〇二〇年二月頃のことではなかったかと葉月殿が話されておられました。

 

それから三年と十ヶ月程の時が、既に過ぎ去っておるということになります。

 

 

この話は既にこのブログでお伝えしておりますが、葉月殿はこの夏と秋に小説を二作品誕生させました。

ほぼ完成しているという段階であります。細かな手直しが必要とのことです。

 

昨年は五月末か六月初め頃からアルバム「戦中お見舞い申し上げます」の制作を開始され精進しておられました。

それでコンサートを開催されましたが、蓋を開けてみると御客様がほぼ全く来られないという状況で御座いました。

コロナ禍の中生活が変わり、感染予防の観点からコンサートへの参加は差し控えたいという方が沢山おられたのかもしれませぬなあ。

葉月殿は今迄コンサートにお越しになって下さっていた方達の姿がないことに寂しさを覚えられまして、更にミュージシャンとしてもう需要がないのだろうかと不安を抱えられておったのだそうです。

楽家という生き物の宿命として、人気商売に保障はなくあすはまるで読めず暮らしは不安定極まりなかったのだそうです。

葉月殿が御客様達がコンサートにお見えにならない理由が分からない状況にあり、今後どうなって行くのか不安だったよと話されておられました。

色んな良からぬことを考え、ミュージシャン葉月翔の絶滅に脅えていたのだそうです。

 

葉月殿は自分の運が落ちていたのではなかろうかということを、御客様達が集まらなかった理由にまず上げておられましたなあ。

二本行ったコンサートの内御客様が一人であった二本目は、バンドメンバーやライブハウスのスタッフの皆様方のテンションが上がらないようであった様子を葉月殿は気にしつつコンサートをされていたようで御座います。お客さんが一人だけで、更には途中でお帰りになられておりますので無観客となりまして、バンドメンバーやライブハウスのスタッフの皆様方の気分が盛り上がらないとしても無理からぬことだなあと葉月殿は思われていたようです。資金繰りは赤字となりました。お金の問題はインディーズミュージシャンはまあそんなもので、儲かり等はせず仕方ない定めかなと話されておりました。基本的に自腹を切ってやるのがインディーズミュージシャンにとっての音楽のようであります。

 

私の考えとしましてはコンサートに御客様が集まらなかった理由として、コロナの影響が一番大きかったのかもしれないと思っておりました。

ベターな論理でしょうが、基本的にそうだったのではなかろうかという気がしておりました。

 

葉月殿は二〇二二年にかなり無理をしてアルバム戦中お見舞い申し上げますと同タイトルのコンサートを作り上げ、そしてコンサートには御客様に殆ど来て頂けなかったという一つの結果に至りました。

無理はやはり無理でして、結局葉月殿は年末に体調を崩されてしまわれることとなりました。

病気ではなく怪我といった感じでありまして、生活のバランスを取り回復して来ているので皆様には御心配なくと伝えておいて欲しいと葉月殿が言われておりました。

 

 

葉月殿の体調はどのようだったのかと申しますと、食事のバランスが悪く貧血になられまして、それから運動不足と水不足かららしく足が血栓になられました。

 

それで葉月殿は十二月からでしたか、病院へ通院する暮らしが始まることとなりました。

入院ではなかったので気が楽だったと言われておりました。

葉月殿はかなり神経質な性格で、入院となると気になることが沢山出て来たのではないかと話されておられましたなあ。

昨年十一月三日のコンサートはマラソンのゴールのテープを切りそのまま倒れ込んだような感覚であったそうです。

もう音楽はお終いかと思われる程、活動に何か限界を感じておられたようです。

 

その後ギターを弾くことはなくなり、たぶん歌もほぼ歌うことがなかったのではないかと葉月殿が話されておられました。

その生活の中で精神的にどんどん鬱的になり、気持ちが病んで行っておられたのかもしれませぬなあ。

頼れるものは減る一方であり、音楽活動は空回りとかなり厳しい状況を感じておられたようです。

そんな経緯で葉月殿の音楽活動や表現活動の休止期間が続いて参った次第であります。

 

ベンベン

 

 

今年の夏と秋は、音楽から離れたついでに物書きに転身するような勢いで小説作りに没頭されておられました。

振り返ればそれが活動再開ということになりますなあ。曲も作られておりました。音楽アルバムと小説をセットにしてメッセージを発信したいと考えられてのことでした。曲はどんどん出来ていましたなあ。二作品の小説に対して、それぞれ何十曲かメロディーが生まれて来ていたようです。

この作品を作る制作費があれば直ぐにやりたいと話されておりましたが、障害は資金で御座いました。

コンテンツを制作する為の中身は用意出来ても、実際にコンテンツ化する為には資金が必要であったりする訳でマイナーの辛い所だったのかもしれませぬ。

作品があっても、世の中にコンテンツ化して提示するチャンスがなかなかないようであります。

悔しい限りかなという状況があったのかもしれませぬなあ。

 

 

この話はこのブログで既にお伝えしておりますが、葉月殿は暫く前に十代の頃に作っていた未完成だと感じていた曲を手直しして再び歌い直すことや、メロディーだけ作っていた曲に詞を書いて完成させ歌うことを始めようかと考え取り組まれておられました。

その取り組みを続けている内に、二十代に入ってから作った作品も未完成であると感じた部分を手直しされておりました。

葉月殿がこれらの作品を実際いつ発表出来ることになるのかは分からないけれど、思い付いたことをやって行ってると話されておられました。

自分の活動の原点に回帰しての再出発なのかもしれないし、もしかしたら活動の終わりなのかもしれぬと考えられておられるようです。

始まりか終わりのどちらかのように感じておられるようです。

これで時代から求められることがなければ、幕引きをすることも意識し考えられるようになったみたいで御座います。

活動に幕を引いたからといって今後他に何をして生きて行けば良いのか分からないとのことですが、だからといって今迄のような調子で未来を思い歌い続けていられる気持ちでもなくなって来たという所に差し掛かっておられたのかもしれませぬ。

来年二〇二四年は五十歳を迎えられることとなり、人生の折り返し地点を過ぎていて上り坂を懸命に駆け上って来たがふと気付けば下り坂に入っていて、見つめる風景が違って見えて来ていたようであります。

 

始まりなのか終わりなのか分からないが取り敢えず十代や二十代初め頃の作品等を歌い直したりしながら、思い付くままにコンサート活動を再開しやって行こうとされておられます。

初期の作品については、約三十年の時を経て蘇る心のメロディーということになるのですかな。

作品誕生から長い年月を経て振り返る曲達の歩みを感じておりますと、葉月翔だけの独自の音楽の世界が確かに存在しているように思えて参っておりました。

徐々に作品の風合いが変わって来ているように感じ、決してマンネリ化はしてないようで御座います。

曲は似ていたとしても違っていてワンパターンでは決してないようです。

この辺りが葉月殿の強みであるのかもしれませぬなあ。

全部違った色の歌を書き揃えておる感じに思われます。

独自の世界観が展開されていて、尚成長を遂げている印象を受けますなあ。

このパターンは非常に稀であるかもしれませぬ。

葉月殿の初期の作品から現在に至る迄の長い時間を振り返りながら作品の変化を見ておりますと、生み出されている音楽は今も生き生きと生きていて進化成長を遂げており、その音楽史が続いておるのだなあということを私は感じておりまする。

これは滅多とない凄いことではなかろうかと思いますなあ。

早熟の天才と言われる方達がおられ、資本主義社会の中で一時の輝きを放っていたとしてもやがては燃え尽きてしまい消耗して消滅するというお決まりのような悲しいパターンが連鎖して来たように思われますが、葉月殿の場合はそのパターンを乗り越えて来ておるようで御座いますぞよ。

これは正に人類にとっての希望の光なのでは御座いませぬかな。

誰も気付かないようなので私は痺れを切らしまして、前から思って来たことを思わず話してしまいました。

ハッハッ!!

すみませぬなあ。

葉月殿びいきなことを言ってばかりの私、歌舞伎の宮富士之介が戯言を申しておると思って下さっても構いませぬ。

私が思いますに葉月殿は皆がハッピーになる為の何かを持っておると感じておりまして、それが生かされたら良いのにとの思いから私は遂力説しがちなのかもしれませぬ。

そうであるならばどうか御勘弁下さいませ。

ハッハッ!!

思いを伝えるというのは難しいものですなあ。

こうしてこのブログの管理人を務めながら皆様に葉月殿のことをお伝えしていますと、そんなことを痛感するような気持ちになります。

私が葉月殿のことでまた力説を始めたと思われるような時には、可愛い孫ひいきのお爺さんが出て来て自慢話に花を咲かせておる程度に軽く聞き流して下さって構いませぬので喋らせておいて下さいませ。

 

葉月殿は時代との真っ向勝負で絶望したり、またスケープボードにされ闇に葬られるリスクを無意識的に回避しながら、恐らくは自身の能力を育み育て何とか生き抜いて来た表現者であるのかもしれませぬなあ。

その辺りが独特の感性によるなかなか技ありな生き方であるのかもしれませぬ。

そんなことを感じでおる気が致しております。

能ある鷹は爪を隠すと言われておりますが、葉月殿の生き様にはそれに通じるものがありそうに思えております。

 

 

葉月殿はコロナ後の世界で、今どこに向かおうとしておられたのでしょう。

精神的に余裕がないこと等があり、SNSを余り覗かなくなったそうです。

SNSを覗くと同調圧力を感じたり、また人の心の闇の中に蠢くネガティブな思いが乱反射しているように感じられて、見ているのが結構しんどくなられたようです。

 

現実世界にカオスが渦巻く中葉月殿には何か必要性があり、ファンタジーを求める心理が生まれていたのかもしれませぬなあ。

私から見ておりまして、葉月殿は直感的に反応してティファニーランドをオープンさせた感がある気がしております。

 

 

そんな暮らしの中で当ホームページを開設されました。

沢山ある自身のSNSを一つに集約し、分散し枝分かれしていた一つ一つのSNSを統合させることにつきまして、葉月殿は良いことではないかなと話されておられました。

コンサート情報やブログやYouTubeへのリンク等、様々な物をサイト内でスッキリ整理し纏めることが出来て分かり易くなり使い易いなあという感想を葉月殿が口にされ語られていました。

 

ホームページのブログであります当ブログビストロロゼワインにて記事を投稿してみた所、今迄して来たブログよりもたぶんアクセスは多い結果がデータとして出ていたようだと葉月殿が言われておりました。

今迄やっていたブログでプレイビューが多い時があったけど、あれは正確なものではない気がして本当は余りプレイビューの数字は上がってなかったのではないかなと葉月殿は思われておりまして、良く分からないからノーカウントにしておくと話されておりました。

 

ホームページのブログビストロロゼワインの記事を投稿すると良くアクセスがあるなと葉月殿は思われていましたが、YouTubeの視聴は殆どなかったようでありまして、この部分はブログ同様の結果であったようで御座います。

インディーズミュージシャンが曲を聴いてもらうことが如何に難しいことであるかを物語るような結果と言えるのかもしれないですなあ。

かといってライブがウケないかというとそうではなく、恐らく総体的に皆様に受け入れられなかなか喜ばれておる結果になっていたようでありまして、リスナーの方に取りましての生活様式に伴う御都合に合った葉月殿の音楽との関わりならば歓迎されるというような現実がもしかするとあったのかもしれませぬなあ。

今は曲をダウンロードし買う時代で、音楽との関わり方が昔とは随分変わっておりますなあ。

葉月殿はこの辺りのことはたぶん昔人間かもしれず、今の人の音楽との関わり方への思いはもしかすると自分には良く分からないことなのかもしれないと話されておりました。

 

ブログについてはどうかというと、大して読まれてはいないと考えた方が現実的なのかもしれませぬなあ。

何分にも気忙しき現代人の生活の中でのことですからなあ。

ブログを訪問して下さった皆様に取りまして、ゆっくり時間を取ってブログを読むことはなかなか難しいことだったのかもしれませぬ。

葉月殿の長文の多い記事をじっくり味わい読むということ自体、恐らく時代とは逆行しておる行為ではないですかな。

本当の所は良く分からないことにつきまして推測から物を言っておりまして、頓珍漢なことを話しておりましたらすみませぬなあ。

その時はどうか許して下さいませ。

 

葉月殿の場合の話ですが、SNSは希薄な人間関係しか生めなかった部分がたぶんあったということかもしれませぬ。

その場合本人のやり方に問題があったからなのかもしれませぬが、たぶんSNS表現者が作品を伝え届けることはなかなか難しいということなので御座いましょうなあ。

 

葉月殿がコンサートでの反応にはまずまずの手応えがあったのでないかなと話されておりました。

コンサートは本物なので、例えばYouTubeを視聴するのとはまた違うものがあるというようなことが関係しておったのですかな。

SNS等での宣伝と違い、伝わる情報量が圧倒的に多いことがその結果を招いていたのかもしれませぬなあ。

人前に出て行き生歌配信というのが、一番説得力のある宣伝ということになるのですかな。

 

無名インディーズミュージシャンがいた際、人はまず関心をそんなに向けてくれるものではなくて、テレビや雑誌等大手のメディアに取り上げられるというフィルターを通さないと人気はなかなか出ない構造がたぶん社会にあるのではなかろうかと思いますなあ。

そういう風に意図して仕組まれている気が致しおりまして、そこは変えようがなくて仕方がないことかなと私は思っておりまする。

きっと縦社会の掟なのですかな。

 

この掟に変化を生み出す為には、皆がその構造に心底傷つき悩み苦しみ変革を強く望むことが必要だろうと葉月殿は考えられておられます。

そう考えますと駄目になっている日本や世界の様々な情勢は、きっと変革前夜として通過せねばならない大切なプロセスということになるのかもしれませぬなあ。

そして救いを求める個々人が立ち上がり手を取り合い横に繋がり、縦社会が与えてはくれない心の豊かさみたいなものを求め日常に変化を生み出す為に行動を起こすことで、やっと人間的で優しい社会の実現に現実が向かい始めるのかもしれませぬなあ。

そういったことに意識を向けている人はきっと僅かなのかもしれませぬが、だからこそ葉月殿のような表現者には社会全体の意識を高める役割を担い良い作品を届けられるように是非とも頑張って欲しいなと私はそう思っておりまする。

 

 

葉月殿が二〇一九年に第一回FRENCH TOAST de SHOW!を開催された頃から、コロナが流行り出しコンサート自粛期間を経まして昨年二〇二二年にフレンチトーストのアルバム「戦中お見舞い申し上げます」を制作し、更には同タイトルのコンサートを開催して、その後体調を崩され病院に通院されながら辿り着いた今日迄の日々の全体的な流れと、葉月翔のホームページであるこのティファニーランドが開設され私が管理人を務める中で感じて来た思いを今日は語らせて頂きました。

 

 

毎日色んなことがあり、生きることは決してままならないものだなと葉月殿が話されておられました。

夢の種を蒔きながら、自分はまた再出発するつもりだとのことで御座いした。

歌を皆様に届けステージで歌うことは、葉月殿にとりまして夢の種蒔きなのかもしれませぬなあ。

コロナによりこの種蒔きが自粛で出来なくなり、実りの秋の収穫祭の喜びも失われまして様々に困窮した暮らしを背負われて来たようで御座います。

 

私がこのブログを更新しております間中葉月殿が用事をしながらあちこちに歩き回られておられましたが、先程から私の側に来られておりまして色んなことを話されております。

皆様毎日色々大変なことがあるかもしれませんが、それでも前を向いて未来を信じSTEP AND SMILE de GO!で参りましょうと葉月殿がメッセージされておりまする。

私から皆様に自分からのメッセージを伝えるよう葉月殿に頼まれましたので伝言しました。

葉月殿御自身の心が折れそうな状況の中で、それでもしなやかにしなる心をどうにか保たれておるようで御座います。

明治維新以来の大革命の時代が、たぶん到来しておるのかもしれませぬなあ。

社会不安の取り巻くような毎日を感じ辛いと思われている方がおられましたら、簡単なことではないかもしれないけれどエキサイティングと良く捉え、是非魂の向上に努めて参りましょうと葉月殿が話されておられます。

 

何があったにせよ人生は誰にとっても一度切りであり、きっと台本なき夢の舞台を演じておるので御座いましょう。

チャレンジある蚤ではないですかな。

 

皆様、くれぐれもSTEP AND SMILE de GO!で御座いますぞよ。

もしも死んじまいたくなったら、葉月翔があなたには付いていることを思い出して下さいと葉月殿が言われておられます。

自分が付いていると格好の良い台詞を吐いてみたからといって大した助けにはならないかもしれないけれど、もしも手助けが必要な時にはなるべく近い場所にいるつもりなのだと話されております。

 

葉月殿はつい悲観的な発言もされておりますが、側で色々話されている姿を見て参りました私が思いますに、葉月殿はたぶんこれではいけないと自身を鼓舞されておられるようです。

 

何ですと?

ええ。

そうで御座いますか。

 

葉月殿がいつまでも夢や自分を捨てないで歌い続けて行きたいと、今改めてそう話されました。

もしも今日生きていることが辛い人がいたら頑張れとは言わないけれど、それでも明日はどうなるかなんて誰にも分からないから生きようと言われておりまする。

 

葉月殿御自身については、皆さんがもっともっと自分の音楽を愛して下さるように可能ならばまた一から精進して行きたいと話されておられます。

 

ふむふむ。

なるほど。

 

つい引っ込み思案な考え方に取り込まれ時代を漂流し彷徨ってしまうような自分がいるのだけど、こんなことではいけなくてもっともっと成すべきことをしっかり見据えて死ぬ迄歌を愛し抜いて行かなくてはと気持ちを改めようとされておられるようです。

色んな思いになりながら、今後の御自身の音楽活動や表現活動について考えられておるというのがリアルな現実ということなのかもしれませぬなあ。

 

コロナで随分コンサート活動から遠退いて来てしまったけど、またやるつもりでいるから皆さん着いて来て下さい。

是非遊びに来て下さい。

宜しくお願いします、

と葉月殿が皆様にメッセージされましたのでお伝え致しました。

 

今日のブログの最後の演目と致しまして、皆様に葉月殿からのメッセージをお伝え致しました。

 

 

では今日はこの辺で失礼しようと思いまする。

また御会い致しましょう!!

Good Luck!!

 

ベンベン